方折之线,少露锋芒。
“壁坼”之法,其线颇有自然之美。何谓“壁坼”?旧时土墙坼裂之痕是也。南宋姜夔在《续书谱》中称:“用笔如折钗股,如屋漏痕,如锥画沙,如壁坼……壁坼者,欲其无布置之巧。”但壁坼之线颇难把握。在侧撇、折笔中稍带涩意,或调锋减速会有奇效。慎用偏侧、壁坼去出锋,以利减少断柴、折篾之俗病。
笔墨手札之五十六。庚子鹁月崇德南津乡鱼公盛欣夫。
偏側の鋒は、ゆっくりで薄いことを直す。
折れ曲がった線は、鋒先を出さない。
「壁坼」の法には、その線に自然の美しさが溢れている。「壁坼」とはなんなのだろうか。実は、昔の土壁がひび割れた跡のことである。南宋の姜夔は『続書譜』の中で、「用筆如折釵股、如屋漏痕、如錐畫沙、如壁坼……壁坼者、欲其無布置之巧。」(筆画の線の曲折、円転は、壁から漏れてきた水の跡のように、砂の中に錐で描いた線のように、なめらかで自然で、深いところがあり、自然に線が貫かれている)と言っている。しかし、壁が割れる線をつかむのは非常にむずかしいことである。側払い、折りの中にやや渋みを持たせ、減速させると特別の効果が出て来る。「偏側」や「壁坼」を慎重に用いて鋒を出すことで、よくある弊害を減らすことができる。
筆墨自書の五十六。庚子鵓月崇徳南津郷魚公盛欣夫。
灵动与朴实,亦有调和点。
飘逸与厚重,也有共通处。
古人就有绵里藏针之说。苏轼自论:“余书如绵裹铁。”明人解缙评:“东坡书丰腴悦泽,绵里藏针。”所谓绵里藏针,就是软中有硬,将软硬的矛盾转化为美,转化为内涵,却是中华笔墨所追求的内在美。灵动减速或是朴实内涵,飘逸加涩或能绵里藏针。条件各异,结果亦难尽然,道理由实践检验。
笔墨手札五十七。己亥撰,庚子皇月语溪南津鱼公盛欣夫。
霊動と質朴には、調和する点もあり、
飄逸と重厚にも、共通点がある。
古人は既に真綿に針を包むという言い方があり、蘇軾は「余書如綿裹鉄(私が書く字は、外見は柔らかいが芯が強い)」と言った。明の解縉は、「東坡豊腴悦澤、綿里藏針。」(東坡氏の字はふくよかで潤いがあるが、骨質感が内在している)と言っている。いわゆる綿の中に針を隠すとは、柔らかさの中に硬さがあるということで、柔らかさと硬さの矛盾を美に転化し、内包に転化するのである。中華の筆墨が求める内在的な美である。霊動減速あるいは質素な内包で、飄々として渋ければ、あるいは綿に針を隠すことができる。条件はそれぞれ違い、結果も様々で、道理は実践によって検証される。
筆墨自書の五十七。己亥撰、庚子皇月語渓南津魚公盛欣夫。
行草之书,写意之画。
可通心脉,流露情志。
大凡行草书、写意画,学时必须意在笔先,用时却应意在笔后。否则,心气不能畅达。元代陈绎曾在《翰林要诀》中说:“喜即气和而字舒,怒则气粗而字险,哀即气郁而字敛,乐则气平而字丽。情有重轻,则字之敛舒、险丽亦有深浅,变化无穷。”可见书家状态情志,必然系连笔端。故必先做好功课,注重平时积累,用时就无须斤斤计较了。
笔墨手札之五十八。己亥撰,庚子橘月语溪鸽子浜盛欣夫。
行草の書、写意の画。
心脈を通じ、情志を表わす。
凡そ草書を書き、写意画を描くなら、学ぶ時には意を筆の先にし、用いる時には意を筆の後にしなければならない。さもなければ、心気がのびのびとしたものにはならない。元の時代の陳繹はかつて、『翰林要訣』の中で、「喜即气和而字舒、怒則気粗而字険、哀即気郁而字斂、楽則気平而字麗。情有重軽、則字之斂舒、険麗亦有深浅、変化無窮。」(喜なら、潤いがあって合理的な筆画で、心地よく見た目よくなる。怒なら、太く、狂く、険しく、気がスムースに通らない。哀なら、気持ちが憂鬱で字が縛られる。楽なら、筆画が平穏で美しい。感情は軽いときも重ときもあるが、それによって文字も変化する。険しさもあり、美しさもあり、変化は無限だ。)と言っている。書家の状態や情志は、必ず筆端につながっていることがわかる。だから、まずはしっかりと学び、習い、日常の蓄積に重きをおく。そうすれば使う時には細かいことにこだわる必要はない。
筆墨自書の五十八。己亥撰、庚子橘月語渓鳩浜盛欣夫。 气韵是关键。
构架书画,实在线条。作品之生命,气韵之生动,依赖线条。线条气韵,先在其势。势中灵动、变化,内蕴在人,人以内外功夫,激越豪情抒之以笔端是也。刘熙载在《艺概》中也说过:“高韵深情,坚质浩气,缺不可以为书。”故养足浩气,熟练功夫,方可倾情而为之。
笔墨手札五十九。己亥撰,庚子午月语溪盛家木桥鱼公盛欣夫。
線には境地があり、
気韻が肝心である。
書画の構造は線である。作品の生命、生き生きとした気韻は線に依存する。線の気韻は、まずその勢いにある。勢いの中で、霊動、変化、内包は人による。人は内外の技量で、激しさや豪快さを筆端で表現する。劉熙載も『芸概』の中で、「高韻深情、堅質浩気、欠不可以為書(格調が高く、感情が強く、気概があってこそ、作品を書き、創作することができる)」と言っている。つまり、十分に浩気を養い、技量に熟練して初めて、思う存分発揮することができるのである。
筆墨自書の五十九。己亥撰、庚子午月語渓盛家木橋魚公盛欣夫。
气韵在形势,
一贯柳穿鱼。
气势若虹,必先通畅。笔断意连,一以贯之,是势。古人有谓“柳穿鱼”。儿时常在河浜溇沟抲到几条小鱼,顺手折一柳条串起,形若一行字,小鱼各自左右横斜展出,却重心挂在一条线上,任其舒展跳动,始终一以贯之。虽然有点残酷,比喻却很生动。书者或可恍然,势在其中矣。
笔墨手札之六十。庚子星月崇德上墅乡鱼公盛欣夫。
気韻は情勢にあり、
柳で魚を穿つ。
気勢が虹のようであるためには、まず流暢でなければならない。筆画を切っても意図をつなげ、これを一貫することを勢という。昔の人は「柳穿魚」(柳の枝で子魚を穿つ)と言っている。子どものころは川原で小さな魚をつかまえ、柳の枝を折って魚を串刺しにしたものだ。形は一行の文字のようだ。小魚はそれぞれ左右に横向きに並ぶが、重心は中心線にかかっている。残酷だが、比喩は生き生きしている。書法家にはすぐに分かるだろう。その中に勢がある。
筆墨自書の六十。庚子星月崇徳上墅郷魚公盛欣夫。
盛欣夫,字甫之,号鱼公。堂号盛庄、梦斋、惕庐、子鱼堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐乡(崇德)盛家木桥。书坛名宿邹梦禅弟子,国家一级美术师。中国书法家协会会员,当代作家联会理事,中国武术协会会员,浙江当代中国画研究院副院长,宁波财经学院教授,宁波大学客座教授,政协海曙区第二、三、四届专家型特聘委员,海曙书画院副院长,中国渔业协会渔文化分会理事,宁波渔文化促进会艺术中心副主任,桐乡市书法家协会名誉主席,景德镇鱼画陶瓷研究院名誉院长,鱼公书院院长。
数十年躬读老庄,用心晋唐,意会晚明,深研楚简,独钟简草,书画自己。或书,或画,或文,或陶瓷绘,其实只为书画一件事,人生七成在笔墨。如是走来,乐在其中。曾获"中国书法百杰"称号、第二届中国书法兰亭奖•教育提名奖、嘉兴市人民政府艺术教育成果奖。鱼瓷作品与鱼类绘画双获农业部、中国渔业协会金奖。2019年,书画六件(组)入藏浙江省博物馆等。
主要著作有《甫之识联》《鱼谱》《鱼瓷》《国画蔬果鱼类技法丛谱》《行草十八要旨》《盛庄艺文)(独写人生》(书写入心》《鱼公书画集丛》等30余种。
格言:顺其自然 必有自我
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、号は魚公。堂号は盛庄、夢斎、惕廬、子魚堂。1949年1月(旧曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書壇の名人でめり権威であった鄒夢禅の弟子で、国家一級美術師である。中国書法家協会会員、当代作家聊谊会理事、中国武術協会会员、浙江当代中国画研究院副院長、寧波財経学院教授、寧波大学客員教授、政協海曙区第二、三、四期専家型特任委員、海曙書画院副院長、中国漁業協会漁文化分会理事、寧波漁文化促進会芸術センター副主任、桐郷市書道家協会名誉主席、景徳鎮の魚の絵の陶磁器研究院名誉院長、魚公書院の院長です。
数十年にわたり老莊をひたすらに読み、晋唐の文化を体得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に動しみ、草書を専らし、自身を書画で表現してきた。書、画、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書画に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中国書法百傑」の称号を与えられ、第二回中国書法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵画がいずれも農業部、中国漁業協会の金賞、嘉興市人民政府芸術教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六点(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯』『魚譜』『魚磁』『国画野菜·魚類技法羲譜』『行草十八要旨』『盛庄芸文』『独写人生』『書写入心』『魚公書画集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。
