古谓血法,惟水惟笔。
画画写字,若轻若重。或出层次,惟在用水,方出效果。元代陈绎曾《翰林要诀》在“血法”一则中称:“字生于墨,墨生于水,水者,字之血也。”血脉乃命脉,用水是关键。墨与水,勿调匀。分着蘸,匀速写。书界林散之、画界张大千都是用水高手,或可借鉴。
笔墨手札之四十七。己亥撰,庚子乾月甫之盛欣夫于广德湖上盛庄。
【日语译文】
枯湿濃淡、入神の域。
昔は血法と言い、ただ水と筆のみ。
絵を描き、字を書く際には、軽くもあり重くもあり、水だけで効果が出る。元の時代の陳繹曾の『翰林要訣』は、「血法」について、「字生於墨、墨生於水、水者、字之血也」(文字の筆画は、墨に生まれ、墨は水に生まれるもので、水は字の血液である)と称している。血脈は命脈で、用水のポイントは、墨と水はむらなく調合してはならず、分けてつけて、等速で書く。書法界の林散之、絵画界の張大千はいずれも水の用い方の達人であり、あるいは参考になれるかもしれない。
筆墨自書の四十七。己亥撰、庚子乾月甫之盛欣夫が広徳湖盛庄で。
内涵是线条之本质,
流畅乃线条之精神。
北宋郭若虚在《图画见闻志》中称:“王献之能为一笔书,陆探微①能为一笔画。”这是在其一定形态前提下,以线来诠释其精神的典范;这也是中国书画的精神所在。其线条,自然充当着主角。换言之,无其形态,也无线条之价值。也就是说,线条并非独立体,是与字体、物体共同担当其文化使命。所以在主体中必须注入相关的文化内涵,加之累积的笔墨精神,这线条才有生命感。笔墨手札之四十八。己亥撰,庚子畏月梦斋盛欣夫并记。
①陆探微(?—约 485),吴(治今江苏苏州)人。南朝宋画家。
【日语译文】
内涵は線の本質であり、
流暢は線の精神である。
北宋の郭若虚は『図画見聞志』の中で、「王献之能為一筆書、陸探微能為一筆画。」(王献之は一筆書を続けて書くことができ、陸探微は一筆画を描くことができる)としている。これはその一定の形態を前提として、線でその精神を解釈する典型的なモデルである。これは中国書画の精神的ありかである。その線は当然、主役になる。言いかえれば、その形態がなければ、線の価値もない。言いかえれば、線は独立体ではなく、書体や物体とともにその文化的使命を担っているのである。そのため、主体の中には必ず関連している文化的内包を注ぎ込まなければならず、その上に累積した筆墨の精神があってはじめて、この線は生命力を持つ。
筆墨自書の四十八。己亥撰、庚子畏月夢斎盛欣夫記す。
浓而迟不滞,淡而涩不薄。
枯湿浓淡与徐疾迟涩,尽在把握。恰到好处,是其功力。每题都在解决矛盾,比如淡与涩,颇难把握,淡或水多,涩笔易滥。应水穷而淡,涩方可行。一切矛盾或在经历后才有经验,贵在思考,功在自修。笔墨手札之四十九。丁酉撰,庚子云月盛欣夫于浙东四明。
【日语译文】
枯れに緩み、急ぐはならず、湿みに疾さ、溢れにならぬ。濃いに遅れ、止まりはならず、淡さに渋さ、薄みにならぬ。潤渇濃淡とスピードはうまく把握できれば技 · 力となる。どのテーマも皆矛盾を解決してみる。例えば、淡と渋は非常に把握しにくく、淡(薄い)或いは水が多い場合は筆が滞り溢れやすくなる。水が少なくて淡い場合は、渋くていける。すべての矛盾は体験してこそ経験になる。大切なのは思考することであり、技術は自ら修練するしかない。
筆墨自書の四十九。丁酉撰、庚子雲月盛欣夫が浙東四明で。
浓淡生层次,提按生灵动。
速度生气势,虚实生意境。
轻重生变化,顿挫生内涵。
宣纸、湖笔、徽墨、端砚,加文化、修养、磨砺功力,千年的智慧积淀,一脉相承的水墨艺术。此乃吾辈之幸运,也是国人之骄傲。剩下的只要我们用用脑,动动手,以轻重浓淡交织出艺术层次变化,用提按顿挫描绘出内含时代特色的壮丽图卷。有如接力,艺无止境。笔墨手札之五十。戊子撰,庚子蒲月鱼公盛欣夫并记。
【日语译文】
濃淡で深さを生み、提按で活気を生む。
速度で気勢を生み、虚実で境地を生む。
軽重で変化を生み、頓挫で内包を生む。
宣紙、湖筆、徽墨、端硯に文化、教養、練磨を加え、千年の知恵を沈殿させ、脈々と伝承されてきた水墨芸術。これはわが世代の幸運であり、国人の誇りでもある。残るのは、我々が頭を使い、手を動かすことだけである。軽重濃淡で芸術的な段階、変化を織り成し、提按 · 頓挫で時代の特色を内包する壮麗な絵巻を描き出すのだ。リレーのように芸はとどまることがない。
筆墨自書の五十。戊子撰、庚子蒲月魚公盛欣夫記す。
担夫争道有避让,轻重缓急在顺畅。
据传公主之轿与担夫争道,或是后人附会。应为担夫与担夫“争”(让)道而过。这里之争,实非真争。过去乡间路窄,两副担迎面相遇,两担宽于路面。然担夫自有办法,两人各自迎背斜向,待到背近靠背时,同心顺势慢转,就转到了各自去的方向。不碰不撞,无碍而过,南方挑担人都懂。书写之法同理,两线并而不黏,有如担夫争道,可谓传神之谕耳。
笔墨手札之五十一。戊子撰,庚子兰月盛欣夫于甬上。
【日语译文】
担ぎ屋が出会えば譲り合って、軽重緩急は順調に。
それぞれに伝承される千家の筆墨も、千々変化は中心を外れない。
姫の輿が担ぎ屋と道を争った話が伝えられているが、後代の人がこじつけたのかもしれない。実は担ぎ手と担ぎ手が道を「争」(譲)ったけれど渡れたということである。ここでの争いは、本当の争いではない。昔は田舎は道が狭く、2 人の担ぎ屋では道幅をはみ出してしまう。しかし、担ぎ屋には方法があった。二人は背中合わせになるように斜めに進み、背と背が近くなったところで同心に沿ってゆっくりと回転して、それぞれが行きたい方向に進むことができたのである。南方の担ぎ屋は皆これを知っていた。書写の方法もこれと同じ理屈で、二つの線が並ぶけれどくっつくことなく、担ぎ屋が道を争ったときのようにするのである。神の教えとも言えるだろう。
筆墨自書の五十一。戊子撰、庚子蘭月盛欣夫寧波で。

盛欣夫,字甫之,号鱼公。堂号盛庄、梦斋、惕庐、子鱼堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐乡(崇德)盛家木桥。书坛名宿邹梦禅弟子,国家一级美术师。中国书法家协会会员,当代作家联会理事,中国武术协会会员,浙江当代中国画研究院副院长,宁波财经学院教授,宁波大学客座教授,政协海曙区第二、三、四届专家型特聘委员,海曙书画院副院长,中国渔业协会渔文化分会理事,宁波渔文化促进会艺术中心副主任,桐乡市书法家协会名誉主席,景德镇鱼画陶瓷研究院名誉院长,鱼公书院院长。
数十年躬读老庄,用心晋唐,意会晚明,深研楚简,独钟简草,书画自己。或书,或画,或文,或陶瓷绘,其实只为书画一件事,人生七成在笔墨。如是走来,乐在其中。曾获"中国书法百杰"称号、第二届中国书法兰亭奖•教育提名奖、嘉兴市人民政府艺术教育成果奖。鱼瓷作品与鱼类绘画双获农业部、中国渔业协会金奖。2019年,书画六件(组)入藏浙江省博物馆等。
主要著作有《甫之识联》《鱼谱》《鱼瓷》《国画蔬果鱼类技法丛谱》《行草十八要旨》《盛庄艺文)(独写人生》(书写入心》《鱼公书画集丛》等30余种。
格言:顺其自然 必有自我
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、号は魚公。堂号は盛庄、夢斎、惕廬、子魚堂。1949年1月(旧曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書壇の名人でめり権威であった鄒夢禅の弟子で、国家一級美術師である。中国書法家協会会員、当代作家聊谊会理事、中国武術協会会员、浙江当代中国画研究院副院長、寧波財経学院教授、寧波大学客員教授、政協海曙区第二、三、四期専家型特任委員、海曙書画院副院長、中国漁業協会漁文化分会理事、寧波漁文化促進会芸術センター副主任、桐郷市書道家協会名誉主席、景徳鎮の魚の絵の陶磁器研究院名誉院長、魚公書院の院長です。
数十年にわたり老莊をひたすらに読み、晋唐の文化を体得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に動しみ、草書を専らし、自身を書画で表現してきた。書、画、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書画に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中国書法百傑」の称号を与えられ、第二回中国書法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵画がいずれも農業部、中国漁業協会の金賞、嘉興市人民政府芸術教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六点(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯』『魚譜』『魚磁』『国画野菜·魚類技法羲譜』『行草十八要旨』『盛庄芸文』『独写人生』『書写入心』『魚公書画集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。
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