舟子圈圈点点,年年悠悠室家。
看似江湖之景,却为双鲶题句。舟子有如画人,或有所思,或有所意,玩玩也是文化。国人讲吉语,讲祝福。而这文化,激励着人们去实现自己的梦想。年年有余,就是百姓曾经的梦想。几千年,一如既往。这就是民间的文化、水墨的文化、百姓的寄托。
笔墨手札之九十七。丙申撰,庚子长夏鱼公盛欣夫于甬上盛庄。
風が蘆を揺らし、軽舟は江に花を耕し。
船頭は棹をさし、家々は年々悠々としている。
江湖の景に似ているが、テーマは二匹のナマズである。船頭は画家のように、何かを思い、何かの意境を持っている。遊びも文化である。中国人が吉語を話して、祝福の言葉を口にするのも文化である。この文化は人々を自分の夢を実現するように激励している。庶民の夢は毎年余りがあることである。数千年、相変らず。これは民間の文化、水墨の文化、庶民の願いである。
筆墨自書の九十七。丙申撰、庚子長夏魚公盛欣夫が寧波盛庄で。
“二王”不是唯一,
大道挤煞“天才”。
学书者,大多爱“二王”。羲献除了字好,还有实用。我曾追随“二王”卅多年,得益匪浅。但如全国学书者多半挤在一条道上,总不利发展。近十年问题日趋严重,可想想最高标准也是“王字”。第二若言有所发展,你若天才,也难回天。少了竞争机制,少了赶超意识,少了时代精神。总之,少了自我与自信。近十年来,余避开“二王”,从楚简找回自信。其实,除了“二王”,还有很多小路可走,如王蘧常的章草、孙伯翔的魏碑都很成功。沈曾植有话在先:“凡治学,毋走常蹊,必须觅前人夐绝之境而攀登之。如书法学行草,唐宋诸家已为人摹滥,即学‘二王’,亦鲜新意。不如学‘二王’之所出——章草。”这是沈曾植对王蘧常的教诲。王如是照办,果然正如所言,终成正果。
笔墨手札之九十八。己亥冬撰,庚子文月鱼公盛欣夫并记。
「二王」は唯一ではなく、
大道には「天才」が締め出される。
書を学ぶ人はたいてい「二王」が好きだ。羲 · 献の字がよいだけでなく、実用として用いることもできる。私はかつて「二王」を 30 年余り追いかけ、大いに得るものががあった。しかし、全国の学書者の多くが同じ道にひしめいていたのでは、発展のためには不利である。競争のメカニズムが足りなくなり、超越意識が足りなくなり、時代精神が足りなくなる。とにかく、自我と自信が足りなくなる。そこで、この十年間、私は「二王」を避けて、楚簡から自信を取り戻した。実は、「二王」以外にも多くの小道がある。王蘧常の章草、孫伯翔の魏碑はとても成功している。沈曽植は先に、「凡治学、毋走常蹊、必須覓前人夐絕之境而攀登之、如書法学行草、唐宋諸家、已為人摹濫、即学二王、亦尟新意。不如学二王之所出——章草。」(一般的に学問をするなら、みんなについていってはならない。先人が歩いたことのない小道を探して登る。例えば、草書を習ったら、唐人宋人の法帖はすでに多くの人に勉強されていて、珍しくない。王氏父子を改めて学んでも新しい意味がないので、王氏父子の習った章草を習うのがいい。)と言っている。これは沈曽植の王蘧常への教戒である。王蘧常がそのとおりにして、やはり実をあげた。
筆墨自書の九十八。己亥冬撰、庚子文月魚公盛欣夫記す。
育两棵树,
造一片林。
两棵树,即书、画。其实还是一件事——笔墨。既然玩了笔墨,就专心一件事足矣。造一片林,就是读书,文史哲,或者诗歌赋。走走看世界,玩玩山水间。一片林是为拥护两棵树。字外功夫,回头还是为笔墨服务。凡事靠自己,走自己的路是福气。
笔墨手札之九十九。甲申撰,庚子星月崇德鱼公盛欣夫并记甬上。
木を二本植えて、
一面の林を造る。
2 本の木とは書と画である。その実もう一つ筆と墨もある。筆墨を遊ぶからには、この一つに専念してよい。林を作るということは読書、例えば文史哲、あるいは詩歌賦である。旅して世界を見て、山水の間を遊ぶ。一面の林はこの 2 本の木を擁護するためである。字の外の技量はまた筆墨のために役立つ。自分に頼り、己が道を歩くことには福がある。
筆墨自書の九十九。甲申撰、庚子星月崇徳魚公盛欣夫が寧波で記す。
顺其自然,
必有自我。
此话从逻辑上,并不很通畅。问题在自信。顺其自然,不是任其自然。一字之差,差在顺字里的一点主动性。木筏顺流而下,遇到险滩,就那么一篙一拨,就会化险为夷,抵达目的地,那就是自我。捋顺其理,做人不累,不累就无挂碍,不累也是境界。
笔墨手札之百。庚戌撰,庚子申月崇德鱼公盛欣夫并记于四明广德湖盛庄。
自然に任せれば
必ず自我がある。
この話は論理的にはあまり筋道が通っていない。問題は自信である。「順其自然、不是任其自然。」(自然に従うのは、自然の成り行きに任せることではない。)一字の違いだが、違ったの「順」の字のわずかな主動性である。いかだは流れに沿って下り、危険な干潟に出あうと竿 1 本で危険を無事に乗り切って目的地に着く。ここにこそ自我がある。その道理に従うので、疲れない。疲れなければ大丈夫で、疲れないのもまた境地である。
筆墨自書の百。庚戌撰、庚子申月崇徳鱼公盛欣夫が四明広徳湖盛庄で記す。
凡事必知所以然,明白自己过天天。
了解昨天为今天,总结今天为明天。
做明白人不易,但必须明白自己当下所为。所谓理论,源于实践,再可指导实践。明白传统,方能做好当下。善于总结今天,才能继续明天,所以做理论,必须实事求是,必须“采铜于山”。推陈出新,方可发展。不能“旧铜翻新”,不能东凑西拼,更不能带有私欲,充蒙稚子。健康学术,健全学养,作用发展,内涵笔墨。宁为小善,慎放大言,勿立山头,不树己党。踏实自己,以利明天。
笔墨手札百又一。庚子立夏撰,同岁夷则鱼公盛欣夫并记。
何事についても何故かを知り、
己を知って日々を過ごす。
昨日を知ることは今日のため、
今日を総括するのは明日のため。
己を知ることは簡単ではないが、自分が今やっていることを知らなければならない。理論とは実践から生まれ、更に実践を導くことができる。伝統を理解してこそ、今をしっかりと行うことができる。今日を上手に総括できて初めて明日を続けることができる。だから、理論を実行するには、事実に基づいて真実を確認し、「銅を山で採掘」しなければならない。古いもののよさを生かして新しいものを作り出して初めて発展することができる。「旧銅再生」はできず、私欲を持ち、子どもになるのはよくない。健康な学術は、学養を健全にし、作用を発展させ、筆墨を内包する。むしろ小善にして、慎重に物事を言い、山のてっぺんに立たず、己の朋党を樹立しないようにする。地に足が着き、明日のために行動する。
筆墨自書の百又一。庚子立夏撰、同歳夷則、魚公盛欣夫記す。
盛欣夫,字甫之,号鱼公。堂号盛庄、梦斋、惕庐、子鱼堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐乡(崇德)盛家木桥。书坛名宿邹梦禅弟子,国家一级美术师。中国书法家协会会员,当代作家联会理事,中国武术协会会员,浙江当代中国画研究院副院长,宁波财经学院教授,宁波大学客座教授,政协海曙区第二、三、四届专家型特聘委员,海曙书画院副院长,中国渔业协会渔文化分会理事,宁波渔文化促进会艺术中心副主任,桐乡市书法家协会名誉主席,景德镇鱼画陶瓷研究院名誉院长,鱼公书院院长。
数十年躬读老庄,用心晋唐,意会晚明,深研楚简,独钟简草,书画自己。或书,或画,或文,或陶瓷绘,其实只为书画一件事,人生七成在笔墨。如是走来,乐在其中。曾获"中国书法百杰"称号、第二届中国书法兰亭奖•教育提名奖、嘉兴市人民政府艺术教育成果奖。鱼瓷作品与鱼类绘画双获农业部、中国渔业协会金奖。2019年,书画六件(组)入藏浙江省博物馆等。
主要著作有《甫之识联》《鱼谱》《鱼瓷》《国画蔬果鱼类技法丛谱》《行草十八要旨》《盛庄艺文)(独写人生》(书写入心》《鱼公书画集丛》等30余种。
格言:顺其自然 必有自我
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、号は魚公。堂号は盛庄、夢斎、惕廬、子魚堂。1949年1月(旧曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書壇の名人でめり権威であった鄒夢禅の弟子で、国家一級美術師である。中国書法家協会会員、当代作家聊谊会理事、中国武術協会会员、浙江当代中国画研究院副院長、寧波財経学院教授、寧波大学客員教授、政協海曙区第二、三、四期専家型特任委員、海曙書画院副院長、中国漁業協会漁文化分会理事、寧波漁文化促進会芸術センター副主任、桐郷市書道家協会名誉主席、景徳鎮の魚の絵の陶磁器研究院名誉院長、魚公書院の院長です。
数十年にわたり老莊をひたすらに読み、晋唐の文化を体得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に動しみ、草書を専らし、自身を書画で表現してきた。書、画、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書画に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中国書法百傑」の称号を与えられ、第二回中国書法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵画がいずれも農業部、中国漁業協会の金賞、嘉興市人民政府芸術教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六点(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯』『魚譜』『魚磁』『国画野菜·魚類技法羲譜』『行草十八要旨』『盛庄芸文』『独写人生』『書写入心』『魚公書画集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。
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